小さな出来事の積み重ねを語るブログ

2010年7月5日月曜日

大相撲問題からみるギャンブルのからくり

日本の大相撲が危機を迎えている。
賭博から端を発したスキャンダルが、角界を超えて大きな問題となっているからだ。
法律上の問題はもちろん、力士としてのモラルに深くかかわる事態である。
そんなスキャンダルだが、なぜこれほどにまでギャンブルは咎められるものだろうか。
法律もあるがその根本的な理由を探ってみたいと思う。

まずギャンブルというものに、フェアなものは存在しないという事実がある。
仲間内ならばともかく、組織が運営しているものは100%アンフェアである。
たとえば2人で賭けをするときは、賭けの勝者にすべてお金が渡る。
しかしその間に第三者を挟むと、勝負の手数料という名目でお金がいくらか取られてしまう。
これはテラ銭と言われているもので、アンフェアといわれる所以である。
実はこのテラ銭があるがために、日本国の法律で賭博が堅く禁じられているのである。
テラ銭をもらう人は胴元といわれているが、その多くが犯罪組織に関わっている。
大相撲問題で暴力団の名が出てくるところをみれば、よくわかるだろう。
国家としては犯罪組織の資金の供給源を絶ちたいので、法律でギャンブルを禁止しているのだ。

では身元がクリーンな人がギャンブルを主催するという考え方はどうか。
暴力団との関係は全く無ければ、治安が悪くならない道理だが・・・
これも借金で苦しむ人が増え、犯罪に走りやすくなるからという理由で却下されるだろう。

しかし国が胴元となっている、宝くじや競馬、競艇なども立派なギャンブルである。
これらはなぜ、お咎めなしで賭博が認められているのか。
国の言い分としては文化を育むという名目があるだろう。
しかしそれ以上に、テラ銭による収入が莫大であるからだ。
競艇や競馬がテラ銭が30%で、宝くじに至ってはなんと50%も利用者から搾取するのだ。
これはビジネスモデルとしては極めて優秀で、民間企業がこの水準を出すのは到底不可能である。
つまり商売としてはボロイ儲けが期待できるのだ。
国はこんなにおいしいビジネスを他に渡したくないから、賭博を禁止しているという事情がある。


どちらが主催してもギャンブルというものは、胴元に搾取されていることに変わりない。
なので何回かギャンブルをすると、手持ちのお金はスッテンテンになる。
ギャンブルが愚か者にかされた税金といわれる所以である。
というわけでギャンブルというものは、割が合わないので辞めたほうがいい。
お金はなくなるし、社会的にダメージを受けてしまうので、いいことはない。
お金をどうしても増やしたいのであれば、株式などの投資がお勧めである。

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