小さな出来事の積み重ねを語るブログ

2010年6月3日木曜日

首相を追いつめたメディアの暴力

小泉首相が退任した後の日本の政治が不安定である。
閣僚の不祥事をはじめ、失言や汚職などのニュースに事を欠かない。
何かあるごとに支持率がどんどん下がり、最後は首相の辞任という流れになる。
近年の総理大臣はみんな一年しかもっていない。
なぜ近頃の政権は長続きをしないのだろうか。
彼らの総理大臣としてのリーダーシップに欠けていたのだろうか。
または閣僚の人々が足を引っ張っているのだろうか。
それとも汚職がはびこっていたのだろうか。
国民の大部分はこのような印象を持っているだろう。

しかし本当の理由は別のところにある。
それはメディアが激しいバッシングを繰り返しているからだ。
安部、福田、麻生、鳩山の時代のメディアは、とにかく自国の政権を批判した。
それは政権が変わっても、扱いは同じ。
テレビをつけると、どの局も政権に批判的な内容を繰り返していた。
また週刊誌を眺めても、最初の記事は、お決まりの政権の非難。
新聞も表現方法は堅いが、内容は上記と大して変わりなし。

どれを見ても、どうでもいいことを揚げ足とっているのではないか。
私には彼らが悪いことをしているようには到底思えない。
それなのにネタ作りのために、マスコミはあのような悪意を持った報道をしているのだ。
これは不愉快極まらないし、許されることではない。

今考えると、日本の政治は、みんなマスコミが作り上げたものではないだろうか。
郵政選挙もマスコミが面白おかしく報道して、自民党が大勝利を収めたし。
安部や福田の求心力の著しい低下は、マスコミが閣僚のちょっとした不祥事の揚げ足取りではないか。
09年の衆院選も麻生の、どうでもいい日本語の間違いの指摘や、オタク関連の指摘で、自民大敗北。
そして鳩山は、普天間問題やリーダーシップの欠如などの、バッシングであえなく辞任。
どれをとっても、政局の変化はマスコミが深くかかわっている。
この演出のためだけに日本の政治が犠牲になっているのだ。

話を実生活に移す。
もし身近に口だけの人がいたら、その人は信用されるだろうか。
多くの人は信用しないだろう。
例えると、人のやることを批判するだけ批判して、自分は代替案を示さないようなもの。
これはどんな人も不快になること間違いなし。
しかし恐ろしいことに、日本のマスコミは、このような事がまかり通っているのだ。
たとえば普天間問題では、批判するだけして、当のメディアは代替案を全く示さない。
どう考えても不可解なことなのだが、多くの国民はそのことに疑問を持たない。
まるでメディアが絶対正しいことを言っているかのように・・・

それでも最近は、ブログやツイッターの普及で、状況が変わりつつある。
それはまだ一部なのだが、メディアに疑問を持つ人が増えつつあるのだ。
なぜならウェブから入ってくる情報を見ると、マスコミの報道がずれていることが判明したからである。
たとえばウェブの内容は、国民が気づかないような、裏の努力を示してくれる。
またマスコミで絶対ださないような、政権の長所も示してくれる。
これらを見た人が、既存のマスコミに疑問を呈したのだ。
国民を洗脳しているのではないかと・・・

これからのマスコミは、どんどん信用を失ってくるだろう。
そして正しい情報が、人に知られることを切に願う。

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