小さな出来事の積み重ねを語るブログ

2010年6月25日金曜日

勝つ意義

サッカー日本代表の岡田監督が、奇跡の予選リーグ突破を成し遂げた。
こんなことがカメルーン戦の前、誰が予想したことだろうか。
おそらくほとんどの国民が、予選リーグ敗退と考えていただろう。
その期待をある意味裏切った日本代表は、拍手喝采に包まれている。
岡田監督も然り、株も急上昇中だ。
W杯開幕前は新聞、テレビ、週刊誌、サッカー誌、新書で酷評されていた。
これほどかというほど、岡田氏を責めていた。
また人々も大して期待を寄せていなかった。
それが勝利することによって、評価が180度覆ってしまったのだ。
勝つことの意義は、本当に大きいものとあらためて感じた。

世の中は勝ったものに味方する。
古代の歴史からさかのぼれば、どんなに残虐でも、勝った者が正義になっていた。
史上最強の蛮族といわれたフン族の略奪から、西欧諸国の侵略戦争など事欠かない。
それは戦争がなくなった現代でも変わらない。
たとえば、K-1の武蔵、大相撲の朝青龍、将棋の渡辺竜王を挙げてみる。
彼らはその世界でスター扱いにされたり、賞賛されたりしている。
なぜ彼らが認められるのか。
常に精進して健闘したり、相当な人格者であったのだろうか。
そんなことはない。彼らが認められているのは勝ったからだ。
彼らは勝ったからこそ、振る舞いや人格まで肯定されるのだ。

もし彼らが負け続けの人生だったらどうなっていたか。
武蔵だったら外国人選手から、どうせ日本枠から勝ち上がった雑魚と見られるだろう。
挙げ句の果てに、次の戦いまで温存できると舐められること間違いなし。
朝青龍だと道徳的に問題あるということで、相撲界から追放されたかもしれない。
渡辺竜王だったら、口先だけのオタク野郎と相手にもされないだろう。

しかしどんなに、過激な振る舞いや言動をしても彼らは認められている。
それは単に勝ち続けているからである。
岡田監督も、今なら「本番直前の4連敗は計算の内」だと公言しても、国民は納得するだろう。
それほどにまで、勝つことは大事なのだ。

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